中国に嫁いだ私の生活記

中国在住五年目(澳門→広東→江西→湖北武汉)

开始上班了

久しぶりのブログ投稿になる。

先週の月曜日から新しい仕事が始まり、二週目を終えようとする今、ようやく気持ち的にも余裕が出てきた。

前職とは全く異なる職種、全てがわからない中新しい環境で仕事を始めるということは、最初の一週間は想像していた以上に疲れることだった。

オフィスビルの一室に日本人用のオフィスがあり(と言っても私含め三人だけ)、その一室に私のデスクがある。

いわゆるオフィスカジュアルな服もほとんど持っていないため、今でも服装には少し戸惑っている。

武漢の夏は猛暑、冬も気温がマイナスになるほど厳しく天候の差が激しいためなおさら困る。

 

日本人と働くこと自体がほぼ初めてに等しいため、そこの部分もだいぶ戸惑っていたのだが今のところはうまく人間関係を作れていると思う。

中国滞在歴は五年目に入るけど会社の中では私が圧倒的に短いし、十年以上中国にいる前辈们は二人ともやはり相当変わってるなぁと、私の目から見てもそう思った。

中国人のようだと言われることはしょっちゅうなのだが、そんな前辈に言われるとジワ~っと複雑な感情が生まれた。

どこがと聞くと、雰囲気らしい。雰囲気って、ちょっと直しようがない。。。

 

夫と息子も今実家に帰省していて家には私一人だけ。

悠々と一人の時間を過ごしているけど、やっぱりさみしい。

仕事から帰ってきてすることといったらひたすらテレビを見るだけ。

ちょっと前に流行っていた美味奇缘にハマってしまってひたすらずーっと見てる。

気が付くと寝ないといけない時間で、毎日そんな感じで一日が終わる。

 二年以上も仕事をしていなかったから、社会復帰したことに未だに少し慣れないけど、充実した毎日を過ごせているし頑張っていこうと思っている。

 

ここ最近で一番驚いたことといえば、以前広東省で働いていた時に知り合ってお世話になっていた人と、ここ武漢で出会ったこと。

こんなに広い中国で、まさか再開するとは思ってもいなかったから本当に縁があったのだなーと思った。

来週あたり一度お会いしに行こうと思っている。

誰も知り合いがいないこの街で、以前から自分を知っている人がいるということがどれほど嬉しくて心が温まったことか。。。

 

とりあえず、私はなんとか日々を過ごしています。

我住过的各种房子

中国で暮らしてきて五年目に入っているわけだが、実に色んな家に住んできた。

マカオでの一年間は、会社が提供してくれていた超高層マンションの3LDKに三人でルームシェア

セキュリティーもしっかりしていて、24時間ロビーには保安が待機しているタイプ。

家賃がとても高額なマカオではこのようなマンションは到底自分では住むことが出来そうにない。

広東省ではホテルのサービスアパートメントに。

サービスアパートメントとは、ホテルに長期間滞在する出張者や駐在員が多く、普通のホテルの客室とは異なりキッチンやリビングが付いている、普通のマンションのような感じ。

私が暮らしていた部屋はいわゆる1Kタイプだったけどとても広く、ハウスキーパーが毎日部屋に来てくれるため掃除をする必要もなく、その都度新しいタオル一式とベットで悠々と暮らすことが出来た。

トイレットペーパーやティッシュがなくなった、電気が切れた、水のボトルを交換してほしい、など何かあればすぐに電話で応対してくれるのも便利。

一番小さいこのタイプの部屋で一ヶ月約7000元ほど。今はもっとするのかな。私は住み込みだったので全てが無料でしたが (。・ω・。)

そして江西省では最も貧乏な生活を…。

見るからにボロッボロな、ローカルでも住まないんじゃないかと言うような汚いボロアパートの6階を自宅としていた。(エレベーター無し)

一部屋だけで家族で暮らすのは本当にキツかったけど、それはそれで嫌いではなかった。

外観からは想像できないほど、中は小綺麗に装修されていたのも大きいかな。

こんな所に住むこともまた経験…こんな所でひっそりと暮らしている、その生活臭漂う日々がまた私を虜にしたのかもしれない。

歩いてすぐにある大きな市場が大好きだった。

活気に溢れていて、見たことのない色んな食材が所狭しと並んでいる様は見るだけでワクワクした。

ボロアパートの階下に店を持つ若い夫婦と挨拶を交わしたり、毎日のように鳴り響く爆竹の音に苛立ったり、鼠が天井をもの凄いスピードで追いかけ合っている音を耳にしながら眠るのも、今になっては遠い昔のことの様。

 

さすがにこの状況を打破しなければと立ち上がった自分に大きな拍手を送りたい。笑

妥協したくなかったから、これだと言う満足のいく仕事を得るのに時間が掛かった。

週末は休み、お給料や待遇の良さ、自分が働いていく上での環境の良さ、などなど色んなことをクリアしたのが今の会社だ。

会社が提供してくれているこのマンションも、マカオと同様に超高層で最上階が34階になる。

そんなマンションが何棟も何棟も建てられていて一つの町のよう(小区)。

私が暮らしているこの地区では珍しくない光景だ。

そんな中、とある28階のとある一室に我が家はある。

必要なものは全てが揃っており、唯一テレビがないものの会社の方で房东(オーナー)に手配してもらっていた。

国慶節が明けてからの配送になるらしく、どんなテレビが届くのか楽しみだ (`・∀・´)♪

白を基調としたシンプルな家具の中に、素敵な絵が飾られている。

f:id:aizi-ruyi:20171003144952j:image

f:id:aizi-ruyi:20171003145008j:image

よく見ると毛糸のようなものでひと針ずつ編まれている

f:id:aizi-ruyi:20171003145044j:image

洗濯物をこのように干すタイプの部屋は初めて

f:id:aizi-ruyi:20171003145213j:image

左の壁に取り付けてあるハンドルバーをくるくる回して上げ下げ可能になっている。

 

ミニマリストにはやはりなれないけど、シンプルな生活を送りたいと常々思っている。

自分が必要と思うものだけ取り入れる。

いくら豊かになろうと、その考えはきっとずっと変わらないだろうな。

食べ物だって、スーパーよりも市場で直に買う。

市場の一角にお店を持っているようなところより、路上で細々と食材を売っているところがおすすめ。

自分の農家で直接採れたものを売りにきているから。

そんな人の姿は、義実家の人々とよく似ていて親しみの念すら抱く。

ただ、南昌の巨大市場を見てしまった後でここの市場を見ると本当に本当に物足りない。。。

端から端を五分も歩かずにおしまい。

武漢は内陸だから海鮮だって希少なもの。今まで暮らしてきたどことも異なるため、そこは現在進行形で慣れていこうとしているところ。

 

どこだって住めば都なのさ (˘⌣˘)♡

国庆节

未来なんて本当に予測出来ないもので、十年前の自分がなんとなく予想していた将来とは、全く異なる人生を今送っている。

初めて中国語がどんな言語なのかを知ったのが約十年前の高校の世界史の授業の時だった。

国史を教わっている時に、先生が中国語には四声あること、例えば同じ ma という発音も、四声ごとに異なる意味を持つことを教えてくれた。

その時『中国語は私には一生無理』と強く思ったことを今でも鮮明に覚えている。

英語を専門に勉強していた私は、中国語に対する興味も毛頭なかった。

そんな私が、今、普通に中国語を話して中国で暮らしている不思議さよ。

 

中国語に触れたのは十年前だけど、実は私と中国にまつわる関係は9歳の頃からあった。

当時小学三年生。転校生としてやってきた子ととても仲良くなり、その子が中国人であることなど当時の自分にはあまりよくわかっておらず、国籍など関係なしにただただ毎日遊んでた。

喧嘩だってした。

ご両親は大連出身の方で、中国語で話していた。

でも彼女は全く中国語が話せないし聞き取れず、日本語しか出来ないという変わった環境にいた。

ある日のこと、彼女のお母さんがじゃがいものみ炒めたものをご馳走してくれた。

今になって、それが土豆丝と言う料理だとわかるけど、当時の自分にはじゃがいもだけ炒めたものがポンと出てきて、そのあまりの質素さに衝撃を受けた。

が、試しに食べてみるととても美味しく、二重で衝撃。

その頃からじゃがいもが好きになったことは言うまでもない。

 

かなり遡った話になったけど、現在の私がこうしているのは、夫との出会いが全てだろうと思う。

これまでの人生の中で、そしてこれからの人生でも星の数ほど様々な決断をしなくてはいけない。

その選択が正しいとか間違っているとか、そんなことは後になってからじゃないとわからないことの方が多い。

人生山あり谷ありでなかなか忙しいけど、感情的な自分は結婚に至るまで感情に強く流され、その決断に後に後悔したことも多々あるけど、“やっぱり”夫とこれからも一緒に人生を歩んでいきたいと思うのだった。

結婚して先月で三年目、出会って六年が経った。

日本語で言っても彼にはニュアンスが伝わらないけど、「まぁこれからもよろしく」と肩に手をポンっと添えて言いたい、そんな気分。

 

今日は国慶節。中国誕生の日。私も中国で暮らす一人として、中国を愛する一人としてお祝いしたい。

私にとって中国とは自分らしくいられる場所、帰るべき場所、骨は海に撒いてほしいけど、これからずっと身を置いていたい場所、と言ったところだろうか。

幸い夫婦共に最後の部分は共通しているため、これからも中国で暮らしていけそうだ。

 

f:id:aizi-ruyi:20171001194035j:image

新生活@武汉

23日間に渡る義実家での生活を離れ、これから新生活を送る新天地【武漢】にやって来た。

 

午前四時出発、義実家からは今まで住んでいた南昌よりも近い距離で車で三時間半で着いた。

初めて訪れた武漢の第一印象は、思ってたよりもかなり都会!!朝の車の渋滞にはうんざりしたけど、これから腰を下ろして暮らしていく場所としては満足。

マンション前で武漢支社の会社の上司と初対面。

大連出身の方で話し方や気質も東北そのもの。とっても良い方で、お部屋の案内や鍵の受け渡しをしてもらう。

少しづつ物を揃えていって、自分たちの住みやすい空間作りをしていきたい。マンションの小区もとても広く、お散歩を兼ねて探索もしてみたい。

 

実際の入社は国慶節が明けてからだけど、これからこの家で、会社で頑張っていこうと新たに決意を固めた。

それまでの間は家の片付けや周辺に慣れていきたい。

 

家のすぐ近くに巨大なイオン(中国語では永旺と言う)があることに感激。

f:id:aizi-ruyi:20170929170207j:image

日本のイオンより遥かに充実していて、昨日初めて探索してみたけどやはり迷子になった。

ポイントカードも作った↓

f:id:aizi-ruyi:20170929170345j:image

と言っても全て微信で管理していて実物のカードはないのだけど。

フロアマップを持ち帰って来たからこれから研究したいと思う。

武漢にはオシャレなローソンまであって、これまで住んできたどの都市よりも大きいのでゆっくりと慣れていきたい。

武漢からは成田への直行便も出ていて、確か四時間かからないくらいで着く(はず)。

其实我已经很喜欢这个城市୧( "̮ )୨✧ᐦ̤

 

最近毎日飲んでる香飘飘~

红豆と芝士の他にもまだ種類があったことが今日判明。

今日飲んだのはコレ↓

f:id:aizi-ruyi:20170929165656j:image

キャラメル×仙草

今度はブルーベリーにしようかな…๑乛◡乛๑ 呵呵

小星星

うちの義実家はとっても田舎だということは前回の記事でも少し触れた。

どこを見渡しても山、側には川が流れていて、麓には田畑が広がっている。四季折々の中国独特の野菜が所狭しとなっている。

熱を通さずとも直接飲める井戸水が点々とあり、あひるの一家が泳いでいるのをガチョウが追いかけ回していたり、放し飼いにされてる鶏が気ままにそこここを歩いていたり、手綱を引かれた馬が丘を登っていたり、水牛が田で、山羊が山の途中で草を食んでいたりする。

挙げればきりがない。

朝起きるのも夜寝るのもとても早く、街灯が消灯されてしまうと真っ暗闇で何も見えなくなる。

とってものどかな村なのだ。

 

加工無しの大自然の様子↓

f:id:aizi-ruyi:20170926134717j:imagef:id:aizi-ruyi:20170926134730j:imagef:id:aizi-ruyi:20170926134800j:image

 

最近、消灯時を狙って家の屋上に出て夜空を見上げるのが好き。

一面に星を見渡せる他、晴れた日の夜空には天の川らしきものが浮かんで見えるのだ。

写真に収めることが出来ないのがとても残念だが、この目にしっかりと焼き付けてある。

オーストラリアで見た星空には及ばないけど、それでも10年振りに星空を仰ぐことが出来た。

 

山岳地帯の天気は移り変わりが激しく、今日はもの凄く暑い。直射日光に五分も当たれない。

が、明後日からガクッと気温が下がり雨が降る模様。

これが義実家の天気予報↓

 f:id:aizi-ruyi:20170926133518j:image

明後日は武漢入りなので武漢の天気予報もチェック。

f:id:aizi-ruyi:20170926132915j:image

と言っても、大して距離を移動する訳ではないので天気も、ほとんど同じ。

天気が良い今のうちに洗濯して靴を洗っておいた。

思いっきり頭も洗ってしまいたい!(暑いから無理)

 

さて、お昼ごはんを作る時間だ。

近况2 在老家

天津から南昌へ戻って次の日には義実家へやって来た。

後に採用通知を頂き、夫も実家へ戻って来たため、それからは南昌に戻ることなく今の義実家での一時的な暮らしに至っている。

のんびりとした田舎ライフ。

周りは見渡す限りの山々。

家を出れば目の前が田んぼで、今は収穫を終えた稲穂が青い濃厚な匂いを漂わせている。

今の旬は瓜モノ。

南瓜,冬瓜,丝瓜などなど、正直飽きがきている。

 

f:id:aizi-ruyi:20170920115822j:image

 

農薬も撒いていないから、中には虫が入っているものも多々ある。(はらぺこあおむしみたいな)

お米の殻を引く作業だって、全て自分たちで。

存在していなかったものを自らの手で生み出し、食すに至らせ、自らの命の糧とする。

自給自足の生活ってすごいなぁとここに来る度に思う。

 

毎日掃除、料理の繰り返しでここでの生活にも飽きが…

暇つぶしにひたすらドラマを見続ける日々。

数年前に流行った武媚娘传奇。

82話まである長編ドラマももうすぐで見終わる。

本当に暇な毎日!

書くこともないし思い付かない!笑

 

ただただ新たなる定住地に色んな思いを馳せ、荷物整理をしたり天猫で新居に必要になるものをチェックしたり、お手紙や日記を書いたり。

インスタを辞めてどれくらい経ったかな。

今の私はSNSと言えば微信しか使わないから、シンプルになったものだ。

本当に必要な人と繋がっていればそれでいい。

近况1 回中国

二ヶ月の日本滞在から中国へ戻って来て20日が経とうとしてる。

20日どころか、既に一ヶ月半以上は経過しているように感じていた。

ここでの日々はそれほどまでに色濃い。

 

日本(成田)を出発し、真夜中に経由地である深センに着く。

二歳にもならない息子と二人での旅路はなかなかキツいので、成田のチェックインカウンターで担当してくれた中国人スタッフには感謝。

20分くらい待ったけど、一番前の広々とした席を確保してくれた。しかも隣は誰もいない私たちだけの。

悠々と深センに着いた後は、予め予約しておいたホテルにチェックイン。

丽枫酒店(lì fēng jiǔ diàn)と言うチェーン展開をしているホテルで、ラベンダーを基調とした空間造りをしていて予想していた通りの素敵なお部屋だった❀

チェックアウト後はホテルの無料送迎バスに乗って空港へ。今は引っ越してしまったけど、自宅のあった江西省南昌までの飛行機に乗って二時間にも満たないフライトを。成田→深センの五時間近いフライトに比べたらなんてことない。

左隣には二人の男性乗客がいて、シートも狭くて息子もぐずったりしたものの、構ってもらったりチョコバーをくれたり、中国人の温かい面に二ヶ月ぶりに触れた時であった。

 

南昌に着いて二日後には仕事の面接のため天津へ。

久々の一人フライトはすごく気楽で、一泊二日の予定のため荷物はリュック一つ。

初めての中国北方は色々なことが南方とは違った。

タクシーがすごく綺麗だったこと、中国語が今まで馴染んできたものとは違って h や r の音が強いこと、それによりお互いの意思疎通が難しかったこと(笑)

彼らの話すことを、南方の人が言えば普通に聞き取れただろうにと何度思っただろう。

 

面接は予定時間より30分も早く着いてしまい、迷惑かもと思いつつ、帰りの飛行機のことも考えるとゆっくり面接する時間も取れないと思って面接に乗り込んだ。

董事长と一対一の、面接と言うよりは世間話に近い会話を二時間近くしていた。

日本語で進めていた面接も途中から中国語に切り替わり、温厚な董事长の人柄もあり緊張も解けて後日無事に採用となった。

大連に本社を置き、天津と武漢に支社を持っていて、私は武漢支社での勤務を希望した。

湖北省武漢は義実家からとても近いからだ。

天津支社は想像していたよりもだいぶ古く小さかった。

おそらく武漢支社はもっと規模の小さい会社だと思っているのだが、逆にそれでいい。

 

数ヶ月に渡る就活、色々あったけど最終的に縁のあった会社はまたもや中国の現地企業となった。

私自身の止まらない中国化は日系企業には向かないし、居苦しく感じるのが容易に想像できる。

以前採用を頂いた日系企業は、お給料が今の会社と同じではあるけどそれ以上の待遇は保険以外には特になく、住居も自費。

それに比べて今の現地企業は日系企業より規模も小さいけどお給料に加えて保険、住居の提供をしてくれる。年に一度の日本への往復チケットもあり。

総務の方が数日間かけてお部屋探しをしてくれ、契約したお部屋の動画を送ってくれた。

28階の超豪華なお部屋で、スイス人が以前使っていたお部屋らしく、部屋の内装はヨーロッパ風の気持ちのいい2LDK。

色々詳細を書きたいのだけど、新居が特定出来てしまうため、『長江の河を眺めることが出来る』とだけ記して終わりにしたいと思う。

今月末に引っ越しして、来月国慶節が明けてから仕事を開始することに。

 

楽しみ楽しみ ( ^∀^)