中国に嫁いだ私の生活記

中国在住五年目(澳門→広東→江西→湖北武汉)

国庆节

未来なんて本当に予測出来ないもので、十年前の自分がなんとなく予想していた将来とは、全く異なる人生を今送っている。

初めて中国語がどんな言語なのかを知ったのが約十年前の高校の世界史の授業の時だった。

国史を教わっている時に、先生が中国語には四声あること、例えば同じ ma という発音も、四声ごとに異なる意味を持つことを教えてくれた。

その時『中国語は私には一生無理』と強く思ったことを今でも鮮明に覚えている。

英語を専門に勉強していた私は、中国語に対する興味も毛頭なかった。

そんな私が、今、普通に中国語を話して中国で暮らしている不思議さよ。

 

中国語に触れたのは十年前だけど、実は私と中国にまつわる関係は9歳の頃からあった。

当時小学三年生。転校生としてやってきた子ととても仲良くなり、その子が中国人であることなど当時の自分にはあまりよくわかっておらず、国籍など関係なしにただただ毎日遊んでた。

喧嘩だってした。

ご両親は大連出身の方で、中国語で話していた。

でも彼女は全く中国語が話せないし聞き取れず、日本語しか出来ないという変わった環境にいた。

ある日のこと、彼女のお母さんがじゃがいものみ炒めたものをご馳走してくれた。

今になって、それが土豆丝と言う料理だとわかるけど、当時の自分にはじゃがいもだけ炒めたものがポンと出てきて、そのあまりの質素さに衝撃を受けた。

が、試しに食べてみるととても美味しく、二重で衝撃。

その頃からじゃがいもが好きになったことは言うまでもない。

 

かなり遡った話になったけど、現在の私がこうしているのは、夫との出会いが全てだろうと思う。

これまでの人生の中で、そしてこれからの人生でも星の数ほど様々な決断をしなくてはいけない。

その選択が正しいとか間違っているとか、そんなことは後になってからじゃないとわからないことの方が多い。

人生山あり谷ありでなかなか忙しいけど、感情的な自分は結婚に至るまで感情に強く流され、その決断に後に後悔したことも多々あるけど、“やっぱり”夫とこれからも一緒に人生を歩んでいきたいと思うのだった。

結婚して先月で三年目、出会って六年が経った。

日本語で言っても彼にはニュアンスが伝わらないけど、「まぁこれからもよろしく」と肩に手をポンっと添えて言いたい、そんな気分。

 

今日は国慶節。中国誕生の日。私も中国で暮らす一人として、中国を愛する一人としてお祝いしたい。

私にとって中国とは自分らしくいられる場所、帰るべき場所、骨は海に撒いてほしいけど、これからずっと身を置いていたい場所、と言ったところだろうか。

幸い夫婦共に最後の部分は共通しているため、これからも中国で暮らしていけそうだ。

 

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